寺院名:生龍山 御座 篠生寺(せいりゅうざん ござ じょうしょうじ)
所在地:石川県加賀市動橋町イ-69
住職 :横河 了然(よかわ りょうねん)
延喜9年(909) | 真言宗生龍山地蔵院建立 |
永延2年(988) | 花山法皇が那谷寺建立にあたっての安在所(御座所)とする
一条天皇も安在所(御座所)とする |
文明7年(1475) | 当寺縁起「篠の道場」とする |
寛永元年(1624) | 篠生寺の寺号下付 |
寛文11年(1671) | 火災にて焼失し、寺地を現在地に移して再建 |
正徳2年(1712) | 聖徳太子・七高僧下付 |
正徳4年(1714) | 御本尊下付 |
宝暦9年(1759) | 御開山御影下付 |
明和6年(1769) | 御絵伝下付 |
文政3年(1820) | 現本堂再建 |
文明7年(1475)5月4日、蓮如上人が波佐谷の僧坊(松岡寺)から、吉崎御坊へ帰られる途中、動橋にさしかかり日が暮れてしまいました。
そこで、桝屋小右衛門の家に、一夜の宿を乞い願いました。
小右衛門の母者は「このたそがれ忙しき時に、ねだりがましく、いまいましや早く出ていけ」と。
蓮如上人は「それならば、空腹に及べば、粽をこしらえているが、何卒そのちまきを一本たまわらば、力を得て夜と共に吉崎まで行こう」と。
母者は、傍らにある石を、ちまき笹に包みて投げ与えました。
蓮如上人は、召し上がろうとすると、中より小石がころがり落ちました。
母者はあざけり笑って「それを食わば一晩宿を貸し申さん」と。
蓮如上人はこのような邪見なものがあろうかと、この不便な者を教化せねばと、いろいろ手だてを考えられ「我進める弥陀の本願に偽りなくば、この笹より再び青葉を生ずべし。もし生ずるならば、一夜の宿をかし給われ」とちまきの笹を大地にさしたところ、仏智不思議のあらわれに、ゆで笹たちどころに根をくばり、青葉を生じた。
母者は、その時五体を地に伏し、前非を悔やみ、小右衛門と共に、夜もすがらご勧化を蒙り、親子ともどもにお弟子となりました。
蓮如上人は、しばらくご滞在になり、後にこの地を去られるときに「我なき末の世まで、弥陀たのむ、たよりとせよ」の言葉と共に、御歳61歳の御真影を残されました。
お弟子となりました桝屋小右衛門は、この地にありました真言宗地蔵院に入寺、浄土真宗に転派して初代となり、「篠の道場」としてお念仏を広めました。
もう一説には、地蔵院の僧慈雲が信を起こし真宗に転派したと。